大学の合唱では それこそ二期会の新人ソリストくらいの


普通の団員が合唱で出す声の20人分くらいの大きな声の響きが出るようになったが


合唱が全然わからなかった。なにせ、「全力出せ」が指揮者の口癖だったから。



24歳の時に社会人の合唱団に入って、本格的な4声の混声合唱という基礎ができていなかったので、


楽譜も音も本格的には読めなかったので、指揮者や先輩に、本当にたくさん色々と指導してもらって、


4声の楽譜が読めるようになって、


それぞれの声がどのように関わっていくと 作曲家が思い描いた音になるか やっと解るようになって


楽譜と歌詞の 実際に音になった時、「空間に響いた時の現象」を考察するようになってから


「音がなんか言っている」「もっとこうした方がいい」って感じるようになった。



ひたすら教会で空間的な神聖な音楽の響きを追求した


ルネッサンス期の巨匠パレストリーナなどの音楽では


4声の音の重ね具合によって特殊な空間的効果が出ることも、



武満徹の作曲した音楽では、代表作「ノーヴェンバーステップス」を聞いたことがある人なら


何となくわかるだろうが、彼の音楽には音色があり、その色が演奏で出ないと 失敗なのだ


彼の合唱作品でも 4声の音が重なり合ってできる音の「絶対的な音色」があることも


歌っていて 音が教えてくれた。



それが、今はヘッドホン改良中の音を聞いて、音の集点を探したり、振動版のピントを制御したり


振動版とかケーブルが「なんか言っている」に繋がっていく。


だから、本格的に合唱してよかった。


ローマ帝国の「すべての道はローマに通ず」みたいな。